脱!公務員ブログ

元公務員バツイチSEが、自身の体験を元に公務員の実態や役立つ知識や経験談、IT関連の技術的な情報、美味しいお店の情報、趣味(野球、音楽、ゲーム、麻雀)に関すること、私自身の波乱に満ちた人生経験について発信します。記事を読んだ後は少し知識が増えて、笑顔になれる(ネタ要素満載)、そんなブログですので是非お立ち寄り下さい♪

公務員からの転職後の近況を振り返ってみた

今回の記事は、転職後に新しい職場で働き始めて、少し環境にも慣れてきて落ち着いてきたので、心の中を書いてみます。

とりとめのない内容なので、暇つぶし程度に読んでくださると幸いです。

東京暮らしの感想

私の場合は北海道から東京に出てきて、生活環境から職場まで、何もかもが変わったという状況でした。

そんな地方出身者が東京での暮らしで特に思ったことをお話しします。

北海道は車が無いと始まらない車社会なんですが、東京は電車が数分おきに走っており乗り換えナビを見てどこでも好きなところに行くことができます。

帰りを気にせず、気軽に飲めるのは酒好きには大きなメリットでした(笑)

地下鉄の込み具合ですが、コロナ禍とはいえ私のような地方出身の田舎者にはラッシュ時は人が多くて乗車を躊躇してしまいます・・・

人込みがダメ!って人は自転車買うといいです。

ロードバイクタイプのチャリが一台あれば、早いし、地下鉄の料金もかからず好きなところに出かけることができますし、何より東京の街並みをチャリで駆け抜けるのは中々にエモくて楽しいですw

あとは住む場所にもよりますが、徒歩圏内にもの凄い数の飲食店や小売店があるので、生活するには何も困りません。

物価が少し高いのが難点ですが、安い店を探して上手く立ち回れば食費を抑えることもできます。

極端な例だと、A店では冷凍食品が750円するのに、B店では同商品が370円で手に入るなんてことはざらにあります。

仕入れルートの差だと思いますが、食品を買う店は近さだけで決めずに、何店舗か比較して値段チェックするといいです♪

あとは東京は人が冷たい!怖い!

なーんてことを話す人は多いですが、全然そんなことないです。

寒い日にラーメン屋で入り口付近の席に座っていると、奥の席の食べ終わったサラリーマンが「オレ食べ終わったから中の席座りなよ~!」と声をかけてくれたり、電車内でイケイケっぽい若者が老人に席を譲ってたり、管理人付きの駐輪場で筆者が自転車の不具合(ギア切り替え箇所の故障)で困ってたら、修理に1時間付き合ってくれた人もいました。

職場の人にも話したんですけど、そもそも東京に住んでる人って東京生まれの割合少なくて、だいたいが別な場所からの移住者なんですよね。

上京したこと無い人が東京をイメージで語っているのをよく聞きますが、暮らしている人間は案外普通ですよ!

環境を変えて思うこと

色々あって転職する道を選びましたが、組織にはネガティブな思いを持ちつつも、長年一緒に働いてきた人と会えなくなるというのは寂しいものだなと感じています。

自分で選んだ道なんですけどね・・・

仕事上の付き合いではあったけど、仕事ぶりを信頼してもらえて困ったことがあれば相談しに来てくれたり、あてにしてくれたことは本当に嬉しかったです。

今は新しい職場で0からのスタートなので、新鮮な気持ちでコツコツと信頼を積み立てていこう!と思う反面、既にあったものを手放したという事実が時々気持ちを揺らすことがあります。

自分はドライな人間だと思っていましたが、しがらみがなくなって素直な気持ちが見えてくると、また違った感想を持つものなのだなと感じる今日この頃です。

一人は楽だけれども、一人で生きれるわけじゃないんだなって。

人の気持ちは完全には見えないけれど、好意を持って接してくれた人もたくさんいたんだなってこの歳になって気づきました。

私は人を信頼しにくい性分なのですが、今度はまわりの人を大切に生きていきたいと思います。

「何かを得るためには何かを捨てなきゃならない」

よく聞きますが、ホントその通りだなと思います。

友人、同僚、家族、立場、趣味仲間・・・

私は転職して環境を変えるまでに多くのものを捨て去ってきました。

捨てたものは大きく、リターンを得れる保証も無い勝負。

リターンを得れるかどうかはこれからの自分の行動次第。

改めて自分の行動してきたことを振り返って、自分が大切にしたい軸がぶれないよう、しっかり生きなきゃなって思いました。

結果は後からついてくる。

どれだけ人に笑われようと、自分の好きな人に否定されようと、自分だけは自分を信じて、命尽きるまでプライドを持って自分らしく生きたいなと強く思います。

転職決断のきっかけ

私には転職を決断するまでにお世話になった、一生忘れることの出来ない恩人がいます。

その方は私より年下の女性で、若くして人生の幕を閉じてしまいましたが、死の間際まで私のことを思い、どう生きるべきかの道を示してくれました。

癌のステージ4の状態で、数回に渡る手術を行い、定期的な抗がん剤による治療で生きるのが辛い状況なのに、最後まであきらめずに前を向いて明るく生きていました。

親族が無くなっても涙一つ流さなかった私が、訃報を聞いたときはショックで数日間涙が止まりませんでした。

何故こんな立派な人間が私より早く亡くなってしまうのかとか、まだ色々やりたいことがあっただろうにと思うと悔しさがこみ上げてきて、人生の無常さを嘆かずにはいられませんでした。

その方が最後にくれたアドバイスは、

「もっと自分らしく生きたらいい」

という言葉でした。

自分の命が長くないという状況でこの言葉を言われた時は目が覚める思いでした。

いつ終わってしまうかもわからない状況で、毎日を大切に熱く生きる生き様を見て、自分も不満を持って燻ぶったままの人生で終わりたくないと心の底から思いました。

あの言葉が無かったら、今の自分は無い。

転職上手くいったら報告するって約束が叶わなかったのが無念で仕方ない。

個人のエゴですが、私がしっかり生きることで、あの方が最後まで命を燃やして生きた証になると信じて日々を過ごしていこうと強く思っています。

2023/2 追記 恩人について振り返って記事を作成しました。

www.withdrawal-civilservice.com

あとがき

かなりとりとめのない文章になってしまいましたが、

アウトプットすることで頭と気持ちが整理されました。

最近色々あって軸がぶれそうだったので、この記事を書いたときの自分の気持ちを忘れずに日々を過ごしたいと思います。

雑文ですが、ここまでお読みいただきありがとうございました。