本記事は双極性障害を患っている母親に育てられ、幼少期から生きづらさを抱えながら生きてきた筆者が、とあることから親の愛情に気付き、心の負担が軽くなった話をさせていただきます。
同じような心の悩みを抱えている方に少しでも伝わるものがあればいいなと思って、自分の幼少期から大人になるまでの心の動きをお話ししてみようと思いました。
それではお話ししていきます。
幼少期の記憶
筆者は幼少期(幼稚園~小学生ぐらいまで)は凄く泣き虫で、女の子に泣かされるような気の弱い男の子でした。
そんな筆者は一人っ子だったのですが、家に帰れば専業主婦の母親が常に出迎えてくれました。
父親はあまり家にいることが多くなく、平日は朝早くから仕事に行き夜遅くに帰ってくるという生活サイクル。
母はとても体が弱く、脊柱管狭窄症を患っており常に腰痛に悩まされておりました・・・
この頃は母から定期的に、近所の人やママ友にいじめられた、私は被害者だ!という話をすることがあり、話の聞き役は私が担っていました。(当時は分かりませんでしたが、恐らく病気の症状によるもので、被害妄想だったようです)
父は母の話を真に受けておらず、夫婦間のコミュニケーションはとても少なかった記憶があります。
当時は母親がとても弱く可哀そうな存在に思い、自分が守らないといけない、母の力にならないとという気持ちが強かったんですよね・・・
今思えば、これが私の生きづらさの発端なのだと振り返っています。
自分が学校で辛いことや上手くいかないことがあっても、親には一切相談せず、家庭内の雰囲気を悪くしないよう、緩衝材としての役割を無意識に引き受けていきます。
何もしていないのに、母親の精神状態が悪くなると家を追い出されたこともあります。
あんたなんて産まなければ良かったと言われたこともあります。
寝たきりになってしまい、ご飯を作ってくれなかったこともあります。
時々激しい夫婦喧嘩もあって、その時は自分の居場所が無くなってしまう恐怖で夜通し怯えていました。
何故こんな状況なのに、父親は助けてくれないんだろうと考えたこともあります。
父はゲームを買ってくれたり、お菓子を買ってくれたりはしましたが、肝心な母親の問題については腫物に触るように何も語ってはくれません。
私にとって家庭とは、安心できる場所ではなく戦場でした。
そんな私は、自分がしっかりしていれば親のためになるし、自分の家庭が悪い状態だと悟られなくてすむと思い、学校の授業も真面目に受けてテストの結果は常に上位をキープしていました。
よそのお家に遊びに行けば、必ず礼儀正しく振る舞っていましたし、そのことで親が羨ましがられると自分の役割を果たせた、と思い心底安心していた記憶があります。
今ならわかりますが、こんなことを子供が考えている時点で健全じゃないです。
そのツケが今後の人生に渡り回ってくるとはこの時は知る由もなく・・・
思春期を迎え
中学校から社会人の初期の頃は、理由がない憤りと周囲への憎しみを常に抱え、生きていることに対し疑念を感じていました。
この頃はわかっていませんでしたが、いわゆるアダルトチルドレンに該当する状況だったのだと思います。
自分を大切にしてくれない両親への憎しみ。
幸せそうな家庭で暮らしている同級生への憎しみ。
苦しみに気付いてくれない周囲への憤り。
何をしても満たされない自分の感情。
このまま生きている意味はあるのか?
そんなことばかり考えて毎日を過ごしていました。
就職時はとりあえず生きていければいいと思い、安定しているという理由だけで地方公務員を受験し、すんなりと合格します。
この頃の私は、ギャンブルと女性にのめり込んでいきます。
刺激があれば、自分の虚しさをごまかせる。
本質的な問題には目を向けず、逃げるようにして激しい刺激を求めていきます。
どこかで自分自身に虚しさを感じながら。
仕事も精一杯取り組みました。
誰かに感謝されることが嬉しくて、もっと周りに認めてもらいたいと考えていましたし、何より仕事に集中することで自分の弱い部分を見なくてすむので、仕事をしている最中は気持ちが楽だったような気がしています。
結婚生活と離婚
思春期以降、誰かにそばにいてほしくて常に彼女を作っていました。
そして20代中盤で年上の女性と結婚することになります。
しかし、人を心から信頼することができない私は、最愛の人である伴侶ですら信頼関係を構築することはできませんでした。
結婚当初から価値観の相違による言い争いも多くなり、私はより自分自身の存在に虚しさを強く感じていきます。
結婚前から家庭に対し良いイメージを持っていなかった私は、自分で自分の不安を実現してしまったようです。
結婚していながら、外に救いを求め、他の女性と親密な関係になってしまったこともあります。
一時的な癒しを求めての行動なのですが、本質的な解決にはならず、より自分の心は深い傷を負っていくことになります・・・・
そんな状況の最中、結婚して3年後に娘が生まれました。
私は、その時は純粋に娘が生まれてきてくれたことに感動していました!
日々成長する娘とのふれあいで、ようやく自分の心が満たされていくのを感じていました・・・
この時は私も生まれてきて良かったなって初めて思った記憶があります(#^^#)
そんな幸せも、子育てにより負担が増した嫁とのコミュニケーション不足が原因で消え去っていきます。
日に日に激しくなる言い争い。
お互いにいがみ合うだけの関係。
私も精神的にかなり苦しかったですし、仲の悪い夫婦の関係を見せつけることがどれだけ娘にとって負担になるかということを身を持って知っていたこともあり、私から離婚を申し入れます。
かなりの期間を要しましたが、金銭的にかなり譲歩し、養育費も絶対に支払うことを約束し、何とか協議離婚を行うことができました。
最中はかなり大変でしたが、終わった後は何とも言えない解放感がありました。
これからは苦しまなくて済む。
楽になれるんだ。
離婚直後はそんな気持ちでいっぱいでした。
娘のそばにいてあげられない罪悪感から目を背けながら。
離婚後の生活と転職
一人になって自由になり、なんとなく女性と遊んだり、ギャンブルをしたり、草野球を楽しんだり、特に目的の無い人生を送ります。
ある時自分の生き方を見つめ直そうと思い、自己啓発本を図書館で読み漁って、「このままじゃいけない!」と思って筋トレに打ち込んだり、転職について考えてみることにしました。
転職先については、最後に在籍した情シス部門の仕事内容が自分に合っていると思っていたので、いっそ本職のSEになってしまおうと思い、転職エージェントを使って東京にある今の会社に無事内定を頂くことができました!
転職活動は色々な会社の方とお話しでき、得るものが多い貴重な体験だったと振り返っています。
内定を頂けたのはとても嬉しかったですね・・・
収入も上がりましたし、何よりこれから自分をレベルアップさせることができる環境に身を置けると思うと、希望に満ちた気持ちになりました!!
自分の生きてきた軌跡を認めてもらった気持ちになり、感動したことを今でも昨日のことのように思い出せます(#^^#)
転職活動の最中で、心を許した恩人との永遠の別れもありましたが・・・
↓上記についての詳細は昔の記事に書いています
www.withdrawal-civilservice.com
そして転職活動と同時に、昔からずっと心残りがあった女性に連絡をとり、半ば筆者のごり押しで付き合うことになりました!
上京前は彼女とほぼ毎日遊んでいたので、この時は頭がおかしくなるぐらい楽しかったです(笑)
仕事もプライベートも順風満帆で、意気揚々と北海道の地を飛び出し、東京へ旅立ちます。
転職後の親からの電話
無事に上京し、最初のうちは高揚感で毎日楽しく過ごせていましたが、時がたつにつれ暗転していきます・・・
毎日勉強して資格を取得したり、見たこともない土地に足を運んだり、楽しいこともたくさんありました。
そんな筆者でしたが、遠距離になってしまったことにより大好きな彼女と上手くコミュニケーションが取れなくなってしまいました・・・
お互いプラスにならないので別れることを選択しましたが、結局自分は大好きな人とも信頼関係を構築することはできない欠陥品なのか、と心底虚しい気持ちになりました。
何故自分はこんなふうに生まれ育ってしまったのだろうか。
少しは成長出来たと思っていたのに。
結局自分はまっとうな生き方はできないんだろうか。
虚しさを抱えたまま生きるしかないのか・・・
その後も寂しさの埋め合わせで複数の女性と食事に行きましたが、全く心が満たされることは無く、逆に自分は何をやっているんだろう?という気持ちでいっぱいになりました。
そうして慣れない環境で過ごすうちに、どんどん心的疲労が溜まっていきます・・・
仕事も数か月程度では全容を掴めず、毎日必死にわからないことに立ち向かって何とか一日を終えている状況です。
プライベートでも特にやりたいことも見つからず、知り合いの少ない土地で一人で過ごしていくにつれて、弱気になっていく自分を感じていました・・・
そんな状況で、母親から急に電話がかかってきます。
親と電話で話すなんて数年ぶりでしょうか。
上京して数か月たった私がちゃんと働けているか、身体は問題無いかなどを心配しての
電話でした。
母親は私に対し、「おかあさんはいつもあなたのことを想っている」という言葉をくれました。
仕事中だったこともあり、数分で切り上げましたが、なぜか少し嬉しい気持ちが沸き上がってきました。
あれほど幼少期から苦労させられ、距離を置き続けていた親からの連絡で喜んだのは生まれて初めてでした。
後日、時間のある時にこちらからかけ直し、今度は父親も含め数十分程度会話します。
上京してからの孤独感、何とか仕事に取り組んでいること、大好きだった彼女と別れたこと・・・
色々思いのたけをぶちまけると、父親も母親も私に対し、
「いつでも戻ってきていいけど、自分で決めた道なんだから納得するまでやってこい。」
「お前のことは大好きだし 応援してるからな!」
と暖かい言葉をかけてくれました。
私は涙が止まりませんでした。
私が一番欲しかったのは、あれほど憎んでいた親からの愛情だったのだと気付いた瞬間でした。
幼少期から傷つけられたという意識を親に持っていましたが、親も親なりに私を想っていてくれたこと、親も苦しみ悩みながら生きていたことに気付き、私は親を許す気持ちを持てました。
と同時に、自分が自分をないがしろにした生き方をしてきたことを深く自覚しました。
これからは、自分が何を望んでいるのか、何が自分にとっての幸せなのかをじっくり考えて生きていこうと。
離れてしまったものの、娘にも自分が感じてきたことを伝えたいし、私が娘に対して死ぬまで愛情を与えていこうとも思いました。
まずは自分を大事にしないと他人も大事にすることはできないということも理解できましたし、やっとスタートラインに立てたのかなと。
悩んだり苦しんだりしながらも、毎日を大切に生きて、いつか自分の道を見つけて本当の意味で強くなりたいと思いました。
あとがき
自覚してないけど私と同じように生きづらさを抱えている人って多いと思います。
原因は幼少期の体験だったり、家庭や周囲の環境が影響していることがあるので、辛いかもしれないけど自分自身に向き合うことで、明日を生きる力を手に入れることができると感じています。
下向いて悲しんだり苦しみながら日々を過ごすなんて誰も望んでいないはずです。
せっかく生まれてきたのですし、どうせなら楽しく生きたいですよね!
とりとめのない記事になりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございます。
私の体験から、何か少しでも気付きを得て頂けましたら大変嬉しく思います。