この記事は私が若かりし頃、公務員時代に初めて配属されたとんでもない部署について語る記事である。
既に15年が経過した今であっても、あの強烈な体験は忘れられない。
人権を守ろうとする機運が高い現代であれば、あっという間にSNS上に展開され、多くの人間から非難を浴びるであろうことは想像に難くない。
腐った人間の要素がカラメルソースのように煮詰まり濃縮還元されたその姿は、非常に醜悪であり、ましてやそれが行政の一部署とは言語道断である。
年功序列制度や職員組合、不合理な古き伝統により既得権益を積み上げてきた寄生虫たちの愚かな生体の実態を、コーヒーブレイクのお供にしていただきたい。
はじめに
まず前提として、とある市のごみ収集を行う課であるということをお伝えする。
通常であればごみ収集は民間に委託するのが主流であるが、既得権益を守るために、
「民間委託したら行政サービスの質が下がる」
などと耳障りの良いことを言って、自分たちの利権を守ろうとする人間の集まりであった。
十数年も異動もなく同じ職場にいる人間も多く、究極の村社会というべき社会がそこには存在していた。
さらには、たかがごみ収集程度の仕事で、年収600万円~800万円を貰う職員もいた。
これから語ることはそのような職場背景で発生したものであることを、インプットしていただきたい。
勤務時間中に皆でおやすみタイム
ごみ収集の作業は朝から始まり、概ね午後の3時過ぎには終了する。
しかし職場の勤務時間は午後5時半までである。
この空白の2時間弱に何が行われているか?
私は、初めて見た時に自分の目を疑った。
畳のような大部屋で、座布団を枕にして集団で寝ている職員が20人以上いるのだ。
ごみ収集の傍らで手に入れた古い雑誌を片手に、勤務時間中に存分にリラックスしているのである。
ーーーこいつらは住民の税金から給料が支払われている自覚はあるのか?
住民の出した雑誌を拾ってきて読み漁るその姿は、どこか既視感のあるものであった。
アメリカ兵に対し、
「ギブミーチョコレート!!」
と群がる乞食のような子供たちの姿が頭に浮かんだ。
昔どこかで読んだ漫画の一ページのような、惨めな姿がそこにはあった。
収集車に乗せず職員を置き去りにする
町中を走るごみ収集車を見たことのない人間はいないだろう。
通常はごみステーション間ごとに停車し、同乗している作業員が収集車にゴミを積み終えると、また収集車に乗り込み次のステーションに向かう。
しかし、運転手によってはそれを許さないものもいた。
新人を鍛えると称し、30度を超える真夏日に、全長8kmにわたり収集車に乗せずに作業者を走らせて作業させる輩がいた。
収集車の後ろを必死に走ってついていく作業員。
運転手自身はヤクザよろしく金の太いネックレスをつけ、エアコンの効いた車内で汗を流す作業員を見てほくそ笑んでいるのである。
ーーーこいつらは人間のクズだ。
私は社会に出て早々、人間というものはここまで醜くなれるのかと驚愕した。
飲み会で暴れて温泉旅館出禁
当時は観楓会という秋に温泉旅館に一泊して行う飲み会が開催されていた。
新人は余興の出し物を強要され、開催数か月前から入念に出し物の準備を行う必要がある。
そんな状況下で、同期の社会人経験者は家庭の事情とやらで観楓会を欠席したのが印象深い。
その同期は普段さんざん意識の高いことを私に話し、崇高な理論を語っていたが、いざ自分の身に困難が降りかかると脱兎のごとく逃走した。
やはりというべきか、人間の本質は言動より行動に現れるものだ。
話を観楓会に戻そう。
当然のことながら、腐敗した職員どもの酒盛りは必ず問題が起きる。
個人的な感情から、あいつが気に入らないだのと酒の勢いでイキりだし、暴力沙汰の喧嘩が始まるのだ。
荒くれどもの争いの結果、和風な日本画が描かれた旅館のふすまは無残な姿になった。
そんな惨状を目にした旅館側から利用禁止を申し入れられることになるのである。
同時進行で、若手の職員の部屋では、ちょっと知恵遅れ風のバイトの職員が泥酔しているのをいいことに、背中に熱湯をかけて大やけどさせた事件も陰ながら発生していた。
私は思う。
労せずして利益を得るようになると、人間は堕落してしまう生き物であると。
ことさら公務員という職種は、人間を腐らせる要素が満載だ。
年功序列、リストラ無し、自動昇格・・・
安易に条件が良いからと公務員になった自分の選択が、誤りであったと気付くのにそう時間はかからなかった。
民営化反対
知っての通り、ごみ収集などの単純作業は高給取りの公務員が担う必要はなく、それなりの給与で引き受けてくれる民間に委託するのが合理的である。
しかしながら、この寄生虫どもは断固として民間委託に反対する。
「安易な委託は行政サービスの質の低下を招く」
「直営は市のために必要だ」
このような優等生的な回答をしても、当局はこの職場の職員たちが、勤務時間中に惰眠を貪っていることを把握している。
そんな面の皮が厚い奴らの二枚舌が通用するわけもなく、着々と民営化は推し進められることになり、寄生虫どものパラダイスは終焉を迎えることになる。
前述の通りの振る舞いをしておきながら、私に向かって偉そうに社会人としての心構えだの、礼儀だのと講釈を垂れてきたウジ虫どもが狼狽える姿は、非常に痛快だった。
諸行無常、悪は栄えたためしなし、奢れるものは久しからず・・・
古来からの数々の格言が頭を巡る。
私は思う。
これらの格言は本質を知り、森羅万象の根源を理解できている人間の残したものであり、それは現代を生きる全ての人間が知る必要のあるものであると。
温故知新とは良く言ったものだ。
人生に行き詰ったときは、時に過去を振り返り、本質に至った人間の知恵を借りるのもいいだろう。
あとがき
私はこのように劣悪な環境から社会人をスタートすることになったが、この時の経験は必要なものであったと振り返っている。
恵まれた環境では目にすることのできない、人間の負の感情、人間の性質、腐敗した組織について学ぶことができたからである。
そしてストレスを感じたり、尊厳を傷つけられるたび思うのだ。
ーーー私はこんな腐った人間になりたくない
ーーーいつか自分が力を持ったら、人が豊かな感情のままで生きられて、希望を持って日々を送れる組織を作りたい
私は私の理想を叶えることで、愚かな寄生虫どもへのささやかな復讐を行うことを楽しみにしている。
ーーー醜い復讐心が動機でも、それが他者のためになるのであれば悪くない
そんな自分への言い訳を行いながら、私は私として生まれてきた役割を果たそうと、今日も一人、理想の未来への計画を思案して日々を過ごしている。