令和6年5月30日(木)雨
今日は、ほとほと疲れる1日だった。
早朝のブレイクタイム(我々の世界では、始業が深夜なので常識である)を楽しんでいると、どっかの海の蛸〈たこ〉が陸に上がってきて、
「俺の罪を証明しろ」
と番号札をとった。
私は一瞬戸惑ったが、持ち前の起点を利かせ、4番目の机の一番左の引出しから小学館出版の「海の生き物図鑑」を取り出した。
早速、索引で「タ」のページを探して開いたが、そいつの罪についての記載は無かった。
そのことを蛸に伝えると
「では、私が無罪であることを証明しろ」
と言ってきた。
私は呆れ果てて、
「自分の罪は己の心に聞いてくれ」と返すと、
蛸は
「我々の世界では、他己証明が基本なんだ!」
と絡みついてきた。
明朗な読者の方ならば、既知の事実であろうが、
「無いことを証明する」ということは、この世で2番目に難しい。
「無い」ことを証明するには、すべての「有る」という可能性を潰さなくてはならないのだ。
ほとほと困り果てた私は、「罪」の保管場所を探そうとして、さらに途方にくれた。
一体「罪」はどこに発生するのか?
自分の心か、他人の心か、はたまた裁判所か?
そして、半ばヤケクソでこう言いった。
「お前の罪は、お前自身が墨で塗りつぶしたから他人が知るはずないだろうが!」
「自分の罪ぐらい自覚しろこのタコっ!ふにゃふにゃ頭!!」
奴は顔を真っ赤にして海に帰って行った。
その後、廁で鏡を見ると、俺の顔は真っ黒だった。
※この物語は、INFJである筆者が現実の体験を基に書いた日記のような空想である。
思ったこと
人が「罪」を後悔するのは、いよいよ悪事が露見しそうになった時である。
つまり、罪悪感とは、悪事が「明るみに出ることの恐れ」でしかない。
よって「罪」は、他者からみなされて初めて発生する。
もし、自分の心の中に「罪」が発生するのであればどんな世界になるだろうか?
おそらく、それまで自分の罪を自覚していなかった「すぐに被害者面して涙を流す輩」や「不当に権利を主張し続ける輩」は一掃されることだろう。
本日のおすすめ曲
バ ン ド 名 :ゆらゆら帝国
ア ル バ ム :Sweet Spot
曲 名 :タコ物語
作 詞 :坂本 慎太郎
好きな歌詞:「うそ ほんとは 食べてみたい」
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