どうも、INFJ(提唱者)ブロガーのhanmanです。
私達のタイプは「人に気を使いすぎる」という特性があります。
なので、他人に振り回されることが多く「生きづらい」と感じます。
「心が優しい」から、他人に気を使ってしまうのだと納得していました。
けれども最近、そんな自分自身に疑問が生じます。
「いい人ぶってるけど、本当にそんな綺麗な気持ち持ってんの?」
「最終決定を他人に任せて、責任を回避してるだけじゃないの?」
これまで善人のフリをして誤魔化していた気持ちが、「心の裏側(無意識)」から溢れてくるのです。
今回は、そういった負の観点からINFJ(提唱者)について考察し、「生きづらい」を克服するための道筋を探していこうと思います。
謙虚という隠れ蓑<みの>
INFJ(提唱者)は気が弱く、他人の意見を尊重して、自分の意見を慎むことが多いです。
日本では、この姿勢を「謙虚」という表現で賞賛されます。
私も、自分の控え目な性格(INFJの特性)を美徳と捉えていました。
けれども、この「謙虚」という姿勢が誰のメリットになっているかを考えると、利己的な自分の一面が浮き彫りになるのです。
表面上は、相手を立てているようですが、以下のように自分側へのメリットばかりなのです。
(謙虚のメリット)
・大きな役割からの回避率が上がる
・相手を煽〈おだ〉て動かせる
・最終決定とその責任を相手に委任できる
相手方のメリットは、一瞬気持ちよくなるだけです。
このあたりからも、日本人INFJ(提唱者)が「謙虚」という日本特有の美徳を利用して、ズルく立ち回っている様子が伺えます。
たしかに、「他人を尊重したいという強い気持ち」があるのは事実ですが、それを逆手にとったズル賢い自分がいるという自覚もあります。
「親孝行」という言い訳
日本人INFJ(提唱者)に多い特徴が、「親の意見を重視する」ということです。
この理由は、周囲に気を使って振り回されるINFJ(提唱者)が心の拠り所として親を頼るからだと思います。(反抗期がなかったり)
私自身も、両親の言うことには忠実でしたし、親の希望を叶えることが「自分の生きがい」だと考え疑いませんでした。
まるで、「懺悔」するかのように、自分の抱える問題をすべて親に報告し、それに対する回答を「この世の真理」かのように尊重していました
だから、「親が喜ぶ顔」を見るのは本当にうれしいし、「失敗して落ち込む様子」は想像しただけで、恐ろしく悲しく不安な気持ちに襲われるのでした。
私の例は少し極端かもしれませんが、自分でも気づかないうちに親に依存し、自分の意見とすり替えているINFJ(提唱者)の方は多いと思います。
これは、親や目上の人を尊重する「親孝行」という概念が日本で絶対的な倫理観として根付いていることにも起因します。
徳川幕府が安定した300年を築けたのは、封建制度によって、身分の差をはっきり自覚させ、反乱を防いだからと言われています。
その時、用いられたのが「親孝行」という儒教の教えであり、「子が親に逆らってはいけない」という考えを基本として、「目上の立場の人に逆らってはいけない」という教えを美徳として浸透させました。
これにより、家という単位で自分の立場をわきまえさせ、個の考えを排除して、ヒエラルキーを確立させることができたのです。
今でも、この考えが日本人に根付いており、親の言うことを尊重する人が賞賛されたり、社畜として疑問もなく会社に貢献するサラリーマンがいたりするのです。
この状況は、親に依存するINFJ(提唱者)には好都合であり、自分自身でも、他者からも素晴らしい生き方をしているように感じるのです。
もちろん、親を大切にすることは素晴らしいことですし、仲良く過ごせる時間が宝物であることは間違いありません。
だとしても、人生の選択を親に委ねてしまうのは、本当に自分を生きたと言えるのでしょうか?
心のどこかに、親の教えに従っているから大丈夫と他人任せの気持ちは無いでしょうか?
この辺りに、INFJ(提唱者)が自分の決断に自信が持てない理由がある気がします。
INFJ(提唱者)の正体
今回の記事で、私が自分自身に向かって強く伝えたいのは、「生きづらい」といつまでも被害者のフリしていて幸せなのか?ということです。
「生きづらい」と純粋がれるほど、アホではないし、もっと打算的な自分を誤魔化すなと。
人の幸せが好きならば「生きづらい」なんて中途半端な気持ちではなく、それも自分の選択として責任を持つ必要があると思うのです。
もし、それができないならもう良い人ぶらないで、自分の気弱な性格を「利用」していけばいいのです👿
我々の共感力は、我々を振り回すけれど、あらゆる概念をスポンジのように吸い取る性質のがあります。
偉い人、偉くない人、善い人、悪い人、など肩書に囚われず、片っ端から様々な人の感情と価値観を吸収できるからこそ、自分の意見に凝り固まった人では至ることのできな真理に到達できると私は考えます。
「今まで従ってきた人」、「これから付き合う人」の価値観を客観的に点検し、良い点は取り入れ、悪い点は捨て去ってさり、組み合わせていいけばいいのです。
振り回されながらも、打算的に振る舞うことが私達にはできるはずです。
自分に自信が持てないのは、まだまだ成長する意思がINFJ(提唱者)にはあるからだと思います。
「生きやすい」と感じているのは、小さくまとまったやつ。
私達が「生きずらい」のは、これからもたくさんの人の価値観を吸収して、もっと普遍的で大きな価値観を見つけ出すからなのです。
これが、完成した時には、あなたの声には自信がみなぎり、提唱者として人々を導くための地図が手元にあるはずだと私は思います。
だから、今を悲観するのではなく、自分の選択に責任をもって自分の人生を生きましょう。
きっと疲れるから、ゆっくり休みながら挑戦すればいいと思います。
いつかきっと実現させられる、「なるべくみんなが生きやすい世界」を信じて。
本日のおススメ曲
バ ン ド 名 :Large House Satisfaction
ア ル バ ム :in the dark room
作 詞 :Large House Satisfaction
曲 名 :CM
好きな歌詞:「劣悪 感情の理論 説法 簡単な依存」
あとがき
今回の記事では、MBTIを特性だからと言い訳にしがちな自分自身に、疑問を呈するために書かせていただきました。
日本人のINFJ(提唱者)とはいいつつ、これって「自分だけの問題じゃないの?」と書きながら思ってしまう部分もありましたが、共感してくれる人がいたらうれしいな~とも思っています(笑)
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最後までお読みいただき、ありがとうございました😊