この世には、いたる箇所に「念のカタマリ」が埋め込まれている。
それは、音楽、小説、絵画、漫画など、ジャンルを問わず埋め込まれている。
もっと正確に言うと、1フレーズ、1文、一筆、1コマ、というような単位で埋め込まれている。
「念のカタマリ」は、作者の情念から作られる。
「念のカタマリ」自体には、価値はないし、役に立たないし、世界も変わらない。
ただ、それを体験した時、時空を超えて、作者の情念が体験者の「こめかみ」の辺りにぶち込まれる。
ぶち込まれた情念は、身体に宿り、そいつを動かす。
いつか、そいつが、世界を変えるかもしれない。
あなたが娯楽だと思い込んでいるものにも、「念のカタマリ」は埋め込まれているし、もうすでに「こめかみ」にぶち込まれているかもしれない。
だから、情念に突き動かされるままに、何かやりたいことがあるならやってみろ。
役に立たないと言われてもいい。
その「念のカタマリ」は、いつか、どっかの誰かにぶち込まれる。
まだ、情念が足りない人は、「念のカタマリ」の採取を続けよ。
「不要不急」だと言い訳し、採取を怠ってると、アイツらみたいな腑抜けになるぞ。
俺は採取を続ける。
なんの知識も持ち合わせちゃいないが、明日は書道展に行くつもりだ。
※本記事は、INFJ(提唱者)ブロガーであるhanmanが、満身創痍の平日に、ZAZEN BOYSの楽曲を聴きながら書きました。
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