脱!公務員ブログ

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【INFJ(提唱者)式理論】「人の不幸は蜜の味」は残念ながら本当だった。

 どうも、INFJ(提唱者)ブロガーのhanmanです。

 突然だが、他人の事件やスキャンダルを耳にして、「悲しみ」や「憤り」を感じる少し前、心が躍ってしまう嫌な感覚はないだろうか。

 私は、自覚したことがある。

 多分、みんなあると思う。

 ワイドショーは、「人の不幸」を深堀して、グロテスクな詳細を丁寧に見せてくれる。

 制作陣や出演者が、悪趣味という訳ではない。

 視聴者からの強い需要があるから、番組は成立するのである。

 視聴者は、ひどく痛ましいという表情をしながらも、テレビから目を背けない。

 言葉の上では、同情を口にしながらも、その眼は、より悲惨な新しい情報を待ち望んでいる。

 私はそんな自分が好きではないので、ワイドショーは見ないようにしている。

 それでも、身の周りでスキャンダルがあった際には、同情を装いながらも、同じような好奇心を抱えている自分に気づく。

 そんな「人の不幸を喜んでしまう気持ち」について考察した。

理由①(本能的な欲求)

 理性による制御が難しい問題は、人間の根源的な欲求に強く結びついている。

 以下の図を目にしたことはあるだろうか。

 これは、心理学者のマズローが人間の欲求を階層的に表したものであり、ピラミッドの下の欲求ほど、理性による制御が難しい。

 私はこの図の中で、下から2番目の安全の欲求が原因だと思う。

 安全の欲求とは、下位の生理的欲求が満たされた場合に発現する欲求であり、すでに満たされた、食事、住居、健康などの安全な状況を確保したいという欲求である。

 この欲求は、時に生理的欲求を上回るほどの強い衝動をもたらすことがある。

 例えば、自身の安定した生活を守るために、身体を壊すまで仕事を続けるような状態である。

 このように強力な安全の欲求は、いつか自分を脅かす可能性がある「他人の不幸」に無関心ではいないだろう。

 このような点で、人間に備わる欲求が、「人の不幸」に関心を示す要因であると言える。

理由②(遺伝的な特性)

 今存在している動植物は、生存戦略に長けた特性を持ち合わせていたため、生き残ったと言える。

 キリンは最初から今の姿ではなかったが、同種よりも高い場所にある葉を食べられる個体が生き残り、交配を繰り返すことでその特性を伸ばしてきた。

 では、人間が伸ばしてきた特性はなにか?

 アンデシュ・ハンセンが著書「スマホ脳」には、

・私たちの祖先は、人口の1~2割が他の人間に殺される時代を生きていた。

・その世界では、誰が誰に恨みを抱いているか、誰に注意すべきなのか、という情報が食べ物の場所と同じぐらい重要だった。

・つまりゴシップが好きで社交性のある人間の方が生存戦略に優れ、多くの子孫を残してきた。

 という記載がある。

 つまり、「ゴシップ好き」は先祖より代々引き継がれた、遺伝的な特性だと言える。

蜜の味の正体

 理由①では、「安全の欲求」が人の不幸への関心を促していること。

 理由②では、社交性という遺伝的特性がゴシップ好きに結びついていること。
 

について言及した。

 この2つを組み合わせると、社会的立場が高いほど安全の欲求が満たされるということになる。

 すると、事件やスキャンダルで誰かが社会的地位を下げることは、安全の欲求を満たすということになりはしないか。

 逆に、誰かの成功は自分の立場を相対的に下げることになりかねない。

 この状態をあらわす言葉としては「ねたみ」がふさわしいと思う。

 つまり、「人の不幸が蜜の味」である理由は、人々が本能的、遺伝的に抱えているねたみが原因だという結論にいたる。

 欲求を満たすとドーパミンが出るので、脳からすると「人の不幸」「蜜を舐めた時」とでは本当に同じ感覚なのだろう。

ねたみの危険性

 いくら蜜の味がするからといって、ねたみを本能や遺伝という理由で野放しにしてはいけない。
 

 蜜を舐めすぎたら虫歯になるように、ねたみは自分の幸福を蝕む。

 ねたみは、自分と他人の比較で生じる。

 「自分よりも、お得に旅行している人がいる」

 「自分よりも、楽して稼いでいる」

 そんな考えは、自分にとって幸福だった旅行や給料などを、不幸の原因へと腐らせてしまう。

 また、ねたみを正当化して、「極端な平等思想」「自己中心的な権利」を主張し、人の足を引っ張り続ける人生は幸福とは言えない。

 ただし、ねたみによる他者との比較が自分を成長させるエネルギーになるのも事実である。

 よって、自分のねたみを自覚し上手く付き合うことが大切である。

結論

・人の不幸は本当に蜜の味がする可能性が高い。

・自分にも、ねたみの感情があることを自覚することが重要

・自分の幸福は他人と比較すべきではない。

以上の3点が本記事で伝えたかったことである。

 人の不幸を喜んでしまうのは、本能や遺伝によるものであるため、自分の卑屈さを嫌う必要は全くない。

 ただし、本当の幸せを掴むためには、「ねたみ」とうまく付き合う必要がある。

 上手く付き合うためには、他者との比較に囚われすぎないことが大切である。

 どうしても自分の幸福を、相対的にしか計れない方には、1冊の本を紹介したい。

 すべてを超越した存在感を示し、他と比較する余地が無い、あの太陽の塔

 その製作者である岡本太郎が書き残した名著「自分の中に毒を持て」である。

 この本には岡本太郎「周りなんか気にせず、絶対的に生きてみろ!」という強力なメッセージが込められており、読むと平熱が3℃は上がる気がする。


 このままご紹介していきたいところではあるが、本題からそれてしまうので、またの機会とさせていただく。

終わり。

 ここまでお読みいただきありがとうございました😊

「ねたみ」の他にも、自分のこんなところが嫌なんだという相談がありましたら、考察してみようと思いますので、是非コメント欄にお願いします✨


※INFJ(提唱者)にご興味のある方は、こちらの記事もおススメです✨

www.withdrawal-civilservice.com