先日、道端で非常に滑稽なモノを見た。
初老の女性が小型犬を散歩しているという、ごくありふれた光景である。
ただ、唯一特筆すべき点は、女性の手にあるはずの手綱が、小型犬に引きずられているということである。
1人と1匹はその事実に気づかずに、私の前を通過し、二つの影をリードの持ち手がいつまでも追っていた。
この光景に、思わず口元を緩めたさなか、私は失望感に包まれ、見なければよかったと後悔した。
なぜなら、この面白さを100%の精度で他人に伝えることは限りなく不可能であると直観したからである。
まず、第一にこの話を人にしたところで、起承転結もなくつまらない話にしか、なり得ない。
また、このシーンを高い技術で視覚的に再現したとしても、そこには作為が含まれ、誰もが思いつくような当たり前のネタになってしまう。
私の目の前に、誰の意図もなく突如現れたその滑稽さを、他者に表現する術は無いのである。
そこから、快楽は他者と共有できてこそ、価値があるということを学んだ。
これは、ガンディーにも多大なる影響を与えたという、かの有名なロシアの文豪レフ・トルストイが人生論で述べた、
「自己中心的な本能は幸福には繋がりえない」という主張を証明するものかもしれない。
いや、全然違うかもしれないし、
そもそもそんなこと言ってないかもしれない。
本記事は、INFJ(提唱者)ブロガーのhanmanが日常生活での空想を基に書きました。
お読みいただきありがとうございました!
※INFJ(提唱者)にご興味のある方は、こちらの記事もおススメです✨